【ライブ・ボランティア】
各種、病院、老人ホームでのボランティアライブ/島唄ライブ(石垣島
・那覇・関西の民謡酒場)
大正区活性化ボランティア(約6年間・商店街でのコメディライブ)
ミヤギマモルとのジョイントライブ(梅田・アカソ―ホール)
⇒現在、大阪本町にある沖縄ダイニング『美ら島物語』(店主)
としてリクエストにより島唄・ミニライブを演奏

【メディア出演】
(TV)情報ライブ ミヤネ屋 - 読売テレビ
(ラジオ)FM那覇・FM尼崎

【アクセサリー、クールビズネクタイ等の創作活動】
全国高島屋・大丸・三越・椿山荘(6年間年末年始の展示会での出店)

【変な外人をサポートする『マリア会』!?】
ティーファ・マリアは一人でも多くの人に沖縄の良さを知って欲しい
との想いでこの数年間、本業のアクセサリーの創作活動を共にライブ
活動にも関わってきましたがこれからは沖縄だけでなく日本の良さも
ネットを通じて世界に発信したいとの気持ちを持っています。
私達は、日本語もわからず一人で日本に来てそんな活動に取り組む
"変な外人マリア"を少しでもバックアップしようとの気持ちから、
この会を立ち上げる事になりました。

皆さんのご理解とご協力を頂ければ幸いです。

                            発起人一同
                            2017年7月


大阪・本町で沖縄ダイニング『美ら島物語』を切り盛りし、ルーマニア出身の沖縄民謡歌手としてテレビや
ラジオにも出演するなど多方面で活躍するティーファ・マリアさん。最近では、この沖縄大好き『変な外人』の
不思議な魅力のとりこになった人々が、彼女の活動をサポートしようと「マリア会」なるファンクラブを発足したとか。

今回はそんなティーファ・マリアさんのこれまでの足跡をご紹介します。

ルーマニアでどんな青春時代を過ごしたのですか?
7歳の時から陸上競技を始めて、短距離のルーマニア代表としてオリンピックに出ることを目標にトレーニングに明け暮れました。

最大のチャンスが訪れたのは18歳で迎えた代表選考の大会でした。
予選を通過し、夢のオリンピックはもう目前まで迫ってきていました。

ところが本選直前、急性盲腸炎になり棄権するしかありませんでした。
あと1歩、夢には届きませんでした。
波瀾万丈の青春時代だったのですね。
そもそも日本に興味を持ったきっかけは何だったのですか?
オリンピック出場だけを長年目指してきたので、オリンピック代表選考会の後は、自分がこれまで注いできた情熱や時間を否定されたようで、ぼっかりと心に大きな穴が空いた感じで毎日を過ごしていたように思います。

それで自分の事を誰も知らない居場所を探し求めていました。当時、仲の良かった友人が日本に住んでいたんです。それで自分も行ってみようかな、と。
それがきっかけです。

あの時、あの判断をしていなかったら今の自分はなかったなと振り返ると、不思議な感じがします。

初来日の時、ここが自分の新天地だと感じたことを今でも覚えています。
それから日本語の勉強を兼ねた来日を重ねるごとに、どんどんこの国に住みたいという想いが強くなっていきました。
現在は永住権を取得されていますね?
前から興味があった故郷のガラス工芸品を日本に輸入販売する事業を始めることにしました。

幸運なことに在日本ルーマニア大使館のサポートも得ることができて、日本各地で展示会を開いて回ったんです。
そしてステンドガラス教室にも通い、輸入販売だけではなく創作の方にも活動の幅を広げていきました。

日本の永住権は2008年に取得することができました。
次は沖縄との出会いを聞かせてもらえますか。
日本に来て3年くらい経ったころでしょうか、友人に沖縄の石垣島に連れて行ってもらったんです。

沖縄の歌や踊り、そして人の暖かさ。言葉ではうまく説明できませんが、心の底に響いたというか、自分の中に足りていなかったパズルのピースがぴったりと合ったような感じがしました。

沖縄の良さをたくさんの人に伝えたい、もっと知ってほしい。
そんな思いがどんどん湧いてきました。すぐ沖縄三線教室に通うようになりました。
老人ホームでのチャリティライブなどでみなさんが喜んでくれるのが励みになりましたね。
素晴らしいですね。
最後に今後の日本での計画を教えて下さい。
今後も現在大阪の本町で運営している島唄ライブも楽しめる沖縄料理店を拠点としつつ、様々な活動を通じて、沖縄文化の普及を日本内外と発信していきたいと思います!!!

お問合せ先


ティーファ・マリアFamily Site運営事務局

メール: info@chura-3.jp